« 2009年01月 | メイン | 2009年07月 »

2009年04月 アーカイブ

生涯についてパート1

1770年12月17日ごろ、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンで父ヨハン、母マリア・マグダレーナの次男として生まれる。

ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であった祖父ルートヴィヒの支援により生計を立てていた。

ベートーヴェンの父も宮廷歌手であったが無類の酒好きであったため、1773年に祖父が亡くなると生活が苦しくなった。

1774年頃よりベートーヴェンは父から苛烈を極める音楽の教育を受けるようになり、1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

16歳くらいのころ・・・

1787年、16歳のベートーヴェンはウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトに弟子入りを申し入れたといわれるが、母の病状悪化の報を受けてボンに戻った。

母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンに才能を認められ弟子入りを許可され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノの即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として名声を博した。苦労しているんですね・・。

20代のころ・・・

20歳代後半ごろより持病の難聴が徐々に悪化、26歳の頃には中途失聴者となる。

音楽家として聴覚を失うという絶望感から1802年には自殺も考えたが、『ハイリゲンシュタットの遺書』と呼ばれる文書を書くことによって、強い精神力をもって自らの苦悩と向き合い、再び生きる意思を得て新しい芸術の道へと進んでいくことになる。

40代になると・・・

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(作家ロマン・ロランによる命名)と呼ばれる時期となる。

40代に入ると、体調の悪化、恋愛事件・甥カールをめぐる養育権争い等もあり一時作曲が停滞したが、それらを経て作られた『交響曲第9番』や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は未曾有の境地の高さを示した。

作風

ベートーヴェンの音楽は、古典派からロマン派への橋渡しを行ったと古くから言われている。
それでもベートーヴェン自身はウィーン古典派に属する最後の巨匠と見るのが普通である。

それは1802年と1818年頃の二度の危機に、当時E.T.A.ホフマンなど台頭しつつあったロマン派には興味を示さず、むしろハイドンとモーツァルトが完成したソナタ形式などの音楽形式や調性、そしてバッハの遺した対位法に集中し、それを活用する道を選んだからである。

About

2009年04月にブログ「ジャジャジャジャーン」に投稿されたすべてのエントリです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2009年01月です。

次のアーカイブは2009年07月です。

他にも多くのエントリがあります。メインページアーカイブページも見てください。

管理人のお気に入り

中古トラック

中古トラック販売、買取のトラックセンター鹿児島。民間車検工場完備で車検/板金/整備/架装などお客様のあらゆるニーズに対応いたします。

中古車 査定

車の売却をお考えの方は中古車買取ジャイアントへ。

通販物流
発送代行や物流倉庫をお探しなら、ネットショップ専門の物流倉庫会社に無料で一括見積依頼できる「EC物流倉庫ナビ」!ネットショップ・通販梱包発送、発送代行、通販物流、出荷代行、物流アウトソーシングの業者を無料でご紹介します。

テント レンタル

イベント集会用テントのお届けレンタル。往復送料無料で配送いたします。

ステッカー

工業用ステッカー、包装用シール、食品ラベルまで、オリジナルにて、1枚から法人様向け大口枚数まで印刷・制作いたします。型抜きや特殊プリントのステッカー、シールも作成します。